沈黙の森・ユーカリ―日本の紙が世界の森を破壊する (暮らしのなかのアジア)
- 作者: 紙パルプ・植林問題市民ネットワーク
- 出版社/メーカー: 梨の木舎
- 発売日: 1994/06/01
- メディア: 単行本
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「ユーカリの植林に問題有り」と言うのは私にとってかなりインパクトがあった。害虫に強く成長が早い育てやすい木=ユーカリは、逆から見れば虫が寄りつかないため他の動物も寄りつかない、成長が早い分たくさんの水を吸収して他の植物も寄せ付けない。著者はコレを「緑の砂漠」呼び、山に緑のペンキを塗ったのと同じだという。
しかし、古紙の入手が困難で再生紙が縮小傾向にある現在、違法伐採を促進しないためにも植林は重要な手段だ。また、ペンキと違ってしっかりCo2を減らしている。
著者は「ユーカリ植林=悪」だと言わんばかりだ、ユーカリを植林するよりはケナフやサトウキビを植えた方が良いとも書いてある。しかし全部の原生林をケナフ畑に変えてしまったらどうだろう?原生林に生えていた植物やそこに居た動物も居場所がなくなり、やっぱり生態系を崩してしまうだろう。要するに程度問題なのだ。
著者の考えは、ユーカリの植林地にはユーカリという木が生えているから"森"だ>森(原生林)を森(ユーカリの森)に変えたら今までと全然違ってしまった>これは森なのに森でない>だから悪だという三段論法のようだ。
森だと思うから頭が混乱するのだ。森ではなくユーカリ畑だと考えてみたらどうだろう。元々有った森を畑に変えるのだから今までと違ってあたりまえだ。だからどの程度の範囲が適切か考えなければいけない。本来それは現地側で考えるべきことだと思うが、日本が植林の援助をしているのならそこまで踏み込んで指導する必要があるのかもしれない。金融機関の「ご利用は計画的に」と言うのと同じ感じだ。
植林>間伐>育木>伐採 と言う時間軸の「計画的に」だけでなく、地域的にも「計画的に」を指導し進めて行けば、ここに書かれているような「ユーカリの森の排除」をする必要はないと思うのだが。どうだろう?