自由葬

古い友人からメールが届いた、お父さんが亡くなったそうだ。故人の意向でお通夜も告別式もしないという。でも出棺時間と場所がメールに書かれていた。身内だけの葬儀ということだろうか?他人の私が行って良いのか?迷ったあげくに行くことにした。彼の家族は確か皆クリスチャンだ、何を持っていけばいい?中学の時学校でもらった聖書も賛美歌も手元にはもう無い、なんだか変だがとりあえず数珠は持参した。現地に着いて建物に入ると彼は「良く来てくれた」と迎えてくれた。ニ十数年ぶりに会った彼のお母さんも「あら小梅ちゃん」と笑顔を送ってくれた。始まるまでの少し間お母さんと懐かしい話に花が咲いた。
「葬儀をするな」と言う故人の意思を少しだけ曲げてのお別れの会は、ご本人の友人と私、親族をあわせて全部で9人のひっそりとした会だった。祭壇にはたくさんのタバコとウヰスキー、アルバムから剥がしてきた写真が数枚、それからお母さんからの花が一つ。お経でもオルガンの音でもない静かなBGMが流れる中でのお焼香には数珠は使わなかった。小さいのに席の余った会場はそれでも集まった人の暖かい気持ちが満ちあふれていた。お焼香が終わると彼の簡単な挨拶で閉会。男手が少ないので私も手伝ってお棺を車に納めた。車は黒塗りではなくグレーのエスティマハッチバックのドアを閉めると普通の乗用車のようだった。自分の車に乗り込んだ彼は「ありがとう、じゃぁまた」とエスティマについていった。
こう言うのを自由葬と言うのだろうか?小規模の葬儀が最近増えている理由が少し分かったような気がした。