エコとエゴ

9月に入ってから一般印刷用紙(上質紙やコート紙・マットコート紙)の再生紙、特に古紙配合率の高い物の問合せが増えた。時期的にそのような季節なのかもしれないが今年は例年とは異なる。
以前にも書いた日本製紙は古紙100%再生紙をやめると宣言している。他の多くのメーカーも古紙配合率は減らして行く傾向にある。それらの影響が出て古紙100%再生紙は現在入手が困難で今後もその状況は変わらないと思われる。
そのような状況の中で古紙100%再生紙を使うことが本当に「エコ」だろうか?再生紙を使う場合は、再生紙使用マークを入れたり文章で表示したりすることが多い。もちろん本質的にエコロジーに取り組んでいる企業や団体などもあるが、「私達はエコロジーに取り組んでいます」と言うイメージアップのPRと言う側面が多分にある。どちらにしても環境に配慮しているというのなら、少ない物を無理矢理使おうとするのがエコロジーだとは思えない。
「私達は古紙の少ないこのご時世でも100%再生紙を無理矢理調達できる力の有る団体です」というPRなら分かる。しかしそれは「エコ」でなく「エゴ」だ。
大多数はそんなつもりはなくて「今まで通り」とか「昨年と同様」と言う流れで特に考えもせず動いているのだろうが、受注した印刷会社はユーザーの要望通りの商品を一所懸命に探す。仮にも「私達はエコロジーに取り組んでいます」と自負するのならもう少し現状を知るべきだ。
大岡裁きの子争いをご存じだろうか?
白州で実母を主張する二人の女に、子供の手を両方から引かせ、痛がる子供が不憫で手を放した女こそ母であると裁きを下す、有名な話だ。
環境に配慮した紙は再生紙以外にも森林循環紙や非木材紙などたくさんある。「再生紙は木を切らないから良い」なんて思っているのは勉強不足。成木は切って植林してやらないと森が活性化しないし、現在製紙会社は紙を作るために木の畑を持っている。再生紙の存在意義は「木を切らない」ことではない。「資源の再利用」つまり捨てるのがもったいないから使うのだ。にもかかわらず古紙100%にこだわったり、あるいは無責任に「今まで通り」にするのは、痛がる子供のことを考えず最後まで子供の手を離さなかった哀れなニセ母と同じ行為だ。